シンガーとして

近所の兄さんの話

今日は、幼少期から今に至るまで、なぜだかご縁のあるお兄さんの話をしていきます。

不思議と言えば不思議ですが、まぁなるようになっていたのでしょう。

その人は、自分の家の20メートルぐらい上の位置にある家に住んでいました。

自分が生まれ育った家は、坂の下にありましたから、上の位置という表現がぴったりときます。その坂の上は、精神病院でしたから。環境としては普通の住宅地とは少し違っていました。

兄さんを知ったのは、「野球」だったと思います。5歳年上で姉と同級生だったと記憶しています。中学の野球部にいた兄さんは、自分の兄貴とよくキャッチボールをしていましたから、自然と弟の俺はその場にいることが多くなります。

小学2年生の頃から、もっぱらやらされるのは、捕手。怖くて取れなかったボールも1年もすれば、慣れて少々の速い球でもとれるようになっていきました。

兄さんの投げるボールは兄貴よりはもっと速く、必死でとっていた記憶しか残っていません。

さて・・・、そんな時期を過ぎて、16歳のころ、俺は野球部の仲間とバンドを組むことになります。

やっていたのは「キャロル」のコピー。

ギターテクニックのない俺は、サイドギターとボーカルに。

因みに他の3人はかなり音楽に精通していて上手かった!練習を重ねながら、ある時、地元で凄く有名だった「長州藩」というバンドがいるからと仲間が言うので、そんなバンドなんか全く知らない俺は、「そうなん?」という程度。

そして、その人の家に訪ねて行こうという話になって、話を聞いてみると、「近所の兄さん」の家だった!

既に、兄さんは大学生になっていて、ロン毛で俺たちの前に現れた。

「なんや、こーぞやないか」と一言いうと、自分達の話をよく聞いてくれた。

そして、今度「マリンピアくろいのステージでライブするから、お前らも出るか」?と

4人は飛び上がって喜んだ!なんせ客の前で歌えるなんて初めての事で、興奮した。ライブ当日自分達はステージに立った。昼中だったので音合わせかと思っていたらそれが本番やった!

今で言う無観客!しかしそれではかわいそうだという事で、兄さん達が夜3曲ほどステージでやらせてくれた。

本番の兄さんたちが演奏するイーグルスや、ドゥービーブラザースは当時洋楽を知らない俺にはよくわからなかったけど、カッコよかったのは記憶にある。

美容師になり、音楽活動はやめてしまい、兄さんは大学卒業後東京に行った。

そして、プロのミュージシャンになって、ギタリストして、メリージェーンを唄う、つのだひろさんのバンドマスターとして全国をツアーでまわるようになっていった。

時が流れて、自分の子供にはピアノを習わせたが、先生はあの兄さんの姉さんだった。時々話をすると「売れないアレンジャー」として音楽活動はやっていると聞いていた。

その姉さんの子供さん二人に、俺が野球を教えた。何かの縁かなとは思っていたが、自分が音楽始めるようになって、機材などを最初に借りたのは、その姉さんの旦那さんからだった。

ご縁があるとかよくわからない話も、ここまで話すと何か繋がっているのはなんとなくわかりますね。

そして、ある日、近所の兄さんがお母さんと一緒に住むという事でふるさとに戻ってくることを知る。

地域を音楽で元気にしようとたち上げた「元気マグネット」のうわさを聞いて、自然と店でやっている「公開ライブ」に顔を出すようになった兄さんと、ある時、俺は大喧嘩をしてしまう。

酒の場ではあったが、彼のプライドをいらつかせるような事を言った。しかし本音だった。その場にいた音楽仲間の仲裁で事なき終えたが、「お前は横着や」と、手渡ししていたオリジナルCDを床に投げつける程怒っていた。

もう会うことはないと思ったのでした。

しかし、兄さんはやって来た。「俺も言い過ぎたと」・・・

その時、この人とは長い付き合いになるなと感じた。

なぜなら、俺の生意気な言葉を、なんとなくわかってくれたのかなと思ったから。

実際その後、いろいろな場面で自分達の音楽活動を影となって支えてくれた。特にプロの現場で長年やって来た音作りなどは、素人のわれわれにとっては助かった。

あの酒の場で、なぜ兄さんをいらつかせたのか?

俺は一言、「そんな気持ちで元気マグネットを応援するとかはいらん」!と言ったから・・・

そう、あの頃そんなことを平気で言う生意気な男でした。それでも、多くの仲間に支えられながらやってこれたのは、本気で楽しいことを苦労してでもやり抜いていきたいと思える音楽仲間がいたからなのだと思う。みんな素晴らしい!

近所の兄さんは、俺がガキの頃からいろいろなことを教えてくれた。大人になって再会して、己の気持ちをぶつけあって大げんかになっても、その後しっかり俺の姿を見てくれて、今ではいろいろなことを話してくれる。

人の出会いって、ただあってすぐわかれる人もいるけど、兄さんのような幼いころからの出会いは、一味違う思いを感じてならない。

ちなみに、兄さんのお母さんや姉さん、そして本人の髪の毛も自分が担当させてもらっている。人とのご縁はいろいろな日常で繋がって来る。それは自分だけではなく、縦横の人間関係に繋がることが多いと思う。

近所の兄さんが、この年齢になってもつきあっていけるのは、美容師の仕事だけでは多分なかったと感じている。実際自分生まれ育った周りには一人もいない!

音楽を始めた事で、広がった全く知りあうことのない人達との出会いも大切と思うが、生まれ育った場所で、一度は離ればなれになったオッサン同士の付き合いもまんざら捨てたもんじゃないなと感じている今日この頃なんですね

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