親が子を思い、子が親を思う
私は、仲良くなった人達に、「自分が楽しく生きていこう」・・・とよく言いますが、とても無責任な言葉だと思っています。
でも、そんな気持ちで生きていくことで、多少の辛さは目の前からスピードを上げて過ぎ去っていきます。この感覚を覚えてしまうまでが、いろいろ大変な思いをして過ごしてきた人には、「前の自分に戻そうとする、引き戻し現象」と言われる事が何度か出てきます。
そこには、仲のよかった友達との別れや、大切な人との別れもあるでしょう。時には友の裏切りも経験するかもしれません。出来事自体は色々です。
そんな経験をたくさんしてきた人達だからこそ、「出会いは人を変える」という言葉も似合ってくるのかなとも思います。
本当は、出会った人が変えたのではなく、自分自身が変わって行ったのが本来の意味だと私は思います。
さて、素敵な話をある雑誌を読んでいましたらありましたので、引用させて頂きます。
あるご婦人とは、5,6年前、円覚寺の坐禅会に
参加してくださったのがご縁でした。日帰りの会ならともかく、泊まり込みの座禅会となると
なかなか修行も厳しく、女性の参加は珍しいので
何かご事情でもあるのかと思い、ある時お話をお聞きしたのです。ご婦人がおっしゃるには、
あるスポーツの選手だった息子さんが
大きな大会で事故を起こして首の骨を折り、
首から下がほとんど動かない状態になってしまわれた。絶望した息子さんは、電動車イスで病院の屋上まで上がり、
飛び降り自殺を図ろうとしたけれども、
体が思うように動かず思い止まったのだと。しかし、お話を聞いていて驚きました。
その息子さんはそこから大学に復帰し、
さらに一人暮らしを始めたというのです。ご婦人は
「私はあの子が転んでも絶対に起こしてあげないんです」とおっしゃいました。
身体が不自由な子が転べば、
すぐにでも手を差し伸べたいのが親というものでしょう。しかし、ご婦人は自分が先に亡くなった時、
息子さんが一人で生きていかなくてはいけないことを
分かっておられたのです。息子さんにもその思いが伝わったのか、
「自分は母のために生きるんだ。
自分が暗くなれば、お母さんがいつまでも辛い思いをしてしまう。
だから、頑張って生きるんだ」そう言っていたそうです。
その言葉のとおり、彼は一所懸命べんきょうして運転免許を取得し、
いま地方公務員として立派に自立しておられます。ご婦人は私にこう言われました。
「管長さん、私はいろいろ苦しんで悲しんで、泣くだけ泣きました。
でも私が子供にできることはたった一つ。
一日一日を明るく生きること。
それだけです。
もし私が辛い顔をしていたら、息子は母が悲しむのは自分のせいだと
自分を責めてしまう。
だからこれからも明るく生きていくの」
「苦しんで悲しんで、泣くだけ泣きました」
の言葉に、胸が締め付けられるように感じましたが
相当な苦難を乗り越えて、子供にできるたった一つのことを見いだされた姿に、
深い親の愛を感じますね。
親が子を思い、子が親を思う・・・
お互いがお互いを思いやる姿は、昔も今も変わってほしくないと思います。
どんなに便利な時代になっても、そうあって欲しいと祈りにも似た思いです。
それには、やはり一日一日楽しく生きる!その姿は大切なんだと思っています。