「カニは甲羅に似せて穴を掘る」ということわざがありますが
人は自分の心のスケール以上の人生は作らない!
と中村天風さんと言いました。
自分の甲羅だけの穴を掘ってそこに住んでいれば、まずは気持ちいいし安全です。なまじ穴に余裕があると、予期しない外的に進入される危険がある。
でも、その穴は永遠に狭い穴でしかない。
いざという時自分がはさみを振り上げるだけの余裕もない。
そこから外へ飛び出すことを考えなければ自分のスケールは大きくならない。
これまで自分が信じていた最高のものを、否定しなければ新しいものに目を開くことができない。
否定しないといけない場面に出会う数が多ければ多いほど成長をするんだと、思っていた時期もありました。
でも今はそのような思いは全くありません。
少し変な話になりますが、人にはそれぞれの役目が生まれてくるときに、神様から授かっているに違いないと私は思うようになりました。
一般的には、「人の役に立つために」生まれていると言われていますが、もっと深い意味があるように思います。
本来、子供ころはその事を知っているような気がしてなりません。
ただ表現力を持ちませんから、だんだん人間のルールに馴らされていくのではないのかなっと思います。
子供としてやったことは悪いけど、人としてはOKという余裕を持った大人に出会っていくことのほうがすごく大事なような気がします。
私は3人兄弟の末っ子でしたから、すごく自由に野放し状態に近い感じで成長していきました。
これは自分が思うことなので、実際は温かい愛情で見守られていたと思います。
すぐ、いじけていましたし、泣いていました。
強がりを言っても、気弱な部分があってお調子者でした。母親のそばにいつもいたくて甘えん坊でした。
それを隠して、張り切りボーイを演じていました。
そうです。ある時期から、演じるようになるのです。
こういうのを、おそらく成長の過程では大事なのでしょうが、そのツッパリが、もろくも崩れることを、思春期に経験します。
こういう話をしていて思うのですが、私は、親に怒られた記憶がないのです。
忘れているのかも知れませんが、まったく両親から怒られた記憶がない。
それほど、ばあちゃんが怒っていたのかもしれませんが、だからこそ、自分の子供に対しても、ほとんど怒ることなく育ててきています。
まあ母親はなかなかそうもいかないでしょうが・・・
今は少し手をかけすぎているのかもしれません。
それぐらい、いろいろなものが出てきて生活が楽になってきたせいかもしれません。
その昔は、違った意味でみんな忙しかったのです。
現在の忙しさとは少し違う忙しさだったと思います。
だから、子供を見ている時間が少なかったのかもしれないなって、今は思いますね。
甘えん坊だったので、安心を求めて、出来るだけ穴を小さく小さく掘ろうとしていたのは言うまでもありません。それが子供の時の私だったように思います。
親は子供に対して青空天井な言葉をかけていいと、私は今思っています。
青空天井なのですから、天井がないのです。
底抜けと違って、上に上にです!
実は、会社でも上司はそうであってほしいと個人的には思います。
実際は凄く厳しい世界です!
でも安全は、どの仕事社会にもなくなってきているように思います
つづく