1976年~
こんな歌が流行っていた頃です
私のルーツ的な話は始まったばかりですが
すると不思議なことが、身の回りで次から次と起きていきました。
同級生が夏休みに入っていく頃でした。
仲のよかった4人の男たちが、
「幸造おるか」と勝手に家の中に入ってきました。
いつもなら勝手に家の中に入ってくるようなヤツらではないのに、
この時ばかりは違っていました。
私は手を引っ張られ外に連れ出されました。
彼らは私に「もう一度お前と一緒に高校にいきたい」と告げてきました。
いろいろ自分で悩んでいた時期でしたから、
この一言に私はものすごく救われました。
思春期を一緒に過ごした彼らの言葉があったからこそ
立ち直りが早かったと思っています。
少しだけの灯りが、明るく灯されたのでした。
そして、決定的な出来事が起こります。
引きこもりを続けていた私の家に、車が突っ込んできたのです。
蒸し暑い夏の夜の12時頃でした。
キーンっという金属音が聞こえてきました。
次の瞬間「ドーン」と大きな音と共に家がミシミシと揺れました。
何が起こったのかと思い、障子をあけると、外の景色が目の中に飛び込んできました。???
一瞬何が起こったかわかりませんでしたが、
すぐに状況がつかめました。
スポーツカーが家の表をはぎ取って電柱にくらいついていました。
そばには白バイがいました。
よく知っている、地元の兄さんが、
酒を飲み白バイに追いかけられていたのです。
3カ月余りほとんど外に出ることのなかった私は、
こうやって外に出る羽目になっていくのでした。
幸い私の親父は大工だったので、
自分の家を自分で修繕する事を選択します。
これはそうした方が修理費が安くなるからで、手伝いはもちろん私。
私はドンドン元気になっていったのでした。
夏を過ぎ兄の知り合いが仕事の現場にいくとき毎朝迎えに来るようになりました。
これは兄貴が仕組んだことだったと後でわかります。
また同級生が無理やり引っ張りだしたのも、30年たったころ、中学校の野球部の監督からのアドバイスだったと友人から聞かされました。
本当に私は人に迷惑ばかりかけながら生きてきたのです。
おかげで、気持ちも持ち直し再び高校受験に臨もうと決意し、
勉強を始めました。
目指すは兄貴が通った工業高校。
一通りの手続きを自分ですべて行い、
受験を受ける朝は、友達に借りた学生服を着て兄貴に車で送ってもらいました。
試験は自信がありました。
「これで、この春から友達と一緒に高校に行ける」私はそう思っていました。
1本の電話が鳴るまでは・・・
つづく