ものすごく親不幸な息子です。
何も、かあちゃんにしてあげられなかった息子です。
今さら・・・手を合わせても
おそい!
だけど、あなたがいなければ、今の俺はいない。
心からありがとうって言えるようになりました。
白いカベをじっと見つめるすんだ瞳
呼びかける声に少し俺を見る
長く子供のためだけに生きた女性(ひと)
今はその子供のことさえ わからなくなったね
どうしてなんて言えないね
あなたは自分を信じた人
細くて小さくなった 腕と手
母としての 優しさとぬくもりは
子供のころと 何も変わってないね
音のないこの部屋で 静かに眠る
疲れた顔さえ見せなかった あなた
今は優しい顔しているね
やっと自分らしくしているのかもしれないね
何をしてあげたらいいのかな?
きっと何ものぞまないね
少し曲がった 背中をさする俺のぬくもり感じますか?
あなたにもらった命をつむぎます
やっと自分らしくしているのかもしれないね
何をしてあげたらいいのかな?
きっとなにものぞまないね
細くて小さくなった 腕と手
母としての 優しさとぬくもりは
子供のころと 何も変わってないね
失ってから気付く大切より、生きている、今気付いて伝えよう
この言葉の重さ、改めて感じています。
かあちゃん・・・おふくろ
私は、成長していく過程で多くの人と同じように呼び方が変わっていきました。
今は、思い出の中でしかそう呼ぶこともなくなりましたが
私の家は、精神病院の正面ありました。
子供のころは、その病院の敷地内でよく遊んでいてね
精神に支障が重度の方たちは、鉄格子のような病棟に入っていました。
その部屋が、病院の外からよく見えていたんです。
私は、そんな人たちを見て、悪いことにからかっていました。
「キチ○イ」・・・と
まさか・・・大人になって、
おふくろをその病院に入れるようなことになるとは夢にも思いませんでした。
4人姉妹の3番目のおふくろは、若くして親父と結婚しました。20才でした。
親父は、血筋か酒飲みでしたから、私が物心ついたころは、
酒を飲まなければいい親父なのに酒が入ると、人が変わっていくひとでした。
この時代の男の人によくある、酔狂(酔って愚痴をこぼす、暴力を振るう)が始まることが多々あってその都度、3人の子供を抱え、おふくろの友達の家やなどに、逃げて行くのが日常だったのです。
そんな、家庭ですから、殺伐とした雰囲気もあったのでしょうが、
家を思う気持ちは今もそんなにイヤな気持ちにはなりません。
ただ・・・長い間古い家のコンプレックスはありました。
さて、そんな家に嫁ぎ、姑との確執もあったでしょう。
私の記憶の中に、鮮やかに焼きついているのは、
新しく冷蔵庫が家にやってきたときのことです。
学校から帰ると、白い1ドアの冷蔵庫が家にやってきていたんですね。
その前に、おふくろと、ばあちゃんが、正座して座っていて
とても嬉しそうに話していました。
私の記憶の中には、そんな楽しい思い出が焼きついています。
よほど嬉しかったのでしょう。
それほど、当時の冷蔵庫は主婦の憧れの品物だったのだと思えますね。
子供たちに親達が楽しく生きている姿を焼き付けたいと、
私が思うのも、このようなイメージが焼きついているからです。
おふくろは、子供たちの前では、「燐」としていました。
弱みを見せない人で、強情な感じで強気な人でした。
私は、酒など飲まない人に思っていましたが、
でもそれは違っていて、親父より酒をよく飲んでいたようです。
特に、子供が成長してからは・・・
本当のおふくろの姿を理解するには、
同じ大人にならないとわからないものです。
それぐらい、当時の大人は、子供の前では、
親として演じている部分もあったのでしょうか?
まあ、子供には子供の意識しかないから、
記憶の中だけでは分からないことがたくさんあります。
思い出だけで書き続けることで、書くたびに
自分の生い立ちに感謝する念が生まれていきます。
つづく