当時高校生が1ヶ月バイトをしても、自給が300円から350円の時代です。どんなに頑張っても月10万円のバイト料など入ってきませんでした。
私は、一回ロストボールをスポーツ店に運ぶと最低は15000円でした。多い時は3万円ぐらいになっていました。原付の単車で動いていましたから運ぶ量は限られていましたが、多い時は往復して運んでいました。
そんなことをしながら、昼間は他のバイトをしていましたから、当時結構稼いだ方だと思います。
でも、高校への復学だけはずっと思っておりましたので、いずれはこの仕事ともおさらばすると思ってはいました。
ある日、おふくろが頼みがあると言ってきました。合わせたい人がいるから、ここに来て言われ向かった場所は、
国立病院でした。そこの事務室に呼ばれ、事務長さんという人が出てきて、
「片山さんの息子さんですね。実はお母さんから聞いてあなたが集めているロストボールをこの病院に持ってきてほしい」と言われました。
びっくりしました!医師たちの中に沢山ゴルフをする人がいるから、その人たちに販売してもいいよという話でした。
私の集めているロストボールは、集めても集めても足らない状況になっていきました。スポーツ店に納めていたこともあり、そちらからも催促があったりして、数に限りがあるので分けていくことで対応していきました。
このままでは迷惑をかけることになる
そう思った私は、よそのゴルフ場の調査に向かいました。しかしそこに入ることはできずあきらめました。
原付バイクを飛ばし周りにあるゴルフ場をしらみつぶしに調査しました。やはりだめでした。
後に、私はゴルフをするようになりますが、堂々とプレーできる心地よさは、いつもびくびくして仕事をしていたことを思うと最高に気持ちがよかったのです。
いずれにしても、対応ができなくなっていったのです。
仕方なく、納期を長くしていただくことで了承を得て、続けていきました。
この間約1年半本当に商売というか、物を販売することの大変さと、おもしろさは経験できました。
真冬の池の水は体全体を刺すように痛くても、我慢できましたし、夏の悪臭が漂う池の中でも辛抱をすることができました。
と、かっこいい事を言っても、やっていたことは盗人行為でしたね。
美容師になっても実は病院の事務長さんからお願いされて、何度か池に入ったこともありました。
さすがに、地元から引っ越した時は、そのお願いはお断りしましたが、当時私のやっていたことには、ニーズというものがありましたから、続けられました。
美容師を志して、店を構え、年数がたちこのような話を書く気持ちになったことに、また心境の変化が自分の中に出てきたのかなっと思います。
ゴルフ場の池の中にはいろいろ生物がいました。なにを踏んでも平気でしたし、ヒルなんかがまとわりついても何ともありませんでした。見周りの人たちに見つかりそうになると、5分ぐらいは潜っておくために、竹の筒を持ってシュノーケル替わりに水中で息をしながら潜んでいたこともありました。
とにかくこそこそ仕事をしていたのです。
だって、盗人行為ですからね。
偉そうなことを日頃言っていても、10代のころの自分は環境がよかったので、平気でこのようなことをしておりました。
今では許されるようなことではないですが、イイ時代でした。
今はもっといい時代だと、自分では思っておりますが、当時と違っているのは物が豊かになってしまったので、「嘘」を付いたらいけないなって思いますし、商売となれば、「正直」「誠実」「実力」「愛情」「魅力」そして「感謝」などをもっと深めていかないといけない時代になっていると感じています。
そんな思いになったのも、なんとか店を継続できているからで、
すべては鳴き砂を踏んで忍び込んだ、松林に囲まれたあの11番ホールから始まっているのかなと思います。