おかしな家族の中で育つ幼少期
1961年~1975年
人は人によりて人となる 作詞:曲 KOU
古びた校舎に続く小さな階段
今も立っている桜の木
何度も何度も冬を越えた
坂道上れば窓にうつる朝日がまぶしく
友の声が聞こえた
ちぎれるほど手を振り駆け上がる坂道
時は静かに流れて行った
幼心にときめく希望(あす)に気づき
人は人によりて人となる
知らない街かど新しい出会い 飾られた言葉に
いつの間にか友を忘れていった
ぶつかる肩ごしに交わされる「ごめんなさい」と「ばかやろう」
冷たい視線に 震える体
それでも必死で生き抜いた
出会いと別れ 繰り返しがら
人は人によりて人となる
誰もが一度は通る道 後ろも振り返る
上を見ないと見えない空の下で
胸の中につかえた大切なもの その重さに気づいていく
一人で立って歩くことの辛さがしみる
だれかの肩を支えにしていたい
喜びと悲しみ繰り返しながら
人は人によりて人となる
記憶は思い出す時、すべて「今」生きている事に感謝し始めた方がいいのかなと、私は思います。
当時、うちには、ばあちゃん、親父、お袋、姉、兄それと私、そして家の裏に親父の姉さんがいました。
まあ今もコレくらいの家族はいる家庭もあるでしょう。
しかし、思い出してもこっけいなのが、
やはりあまり親の威厳が当時はなかったような気がします。
あったのは、裏に住んでいたおばちゃん。
この人にはずいぶん助けられたし、お金ももらった。
私だけではなく、多分姉さんも兄貴も。
家にあまりお金がなさそうだから、
なにか欲しいものがあると、裏のおばちゃんのところにたかりに行くわけです。
コレが意外と作戦がいる。
よく営業マンが、「相手の性格を見抜かないといけない」と、営業にならないという鉄則がありますが、
まさにこのことを、子供の頃からうちの兄弟はやっていた。
おそらく一番上の姉さんが最初だと思う。
次に兄貴。
当然のごとく私も真似る。
どんな作戦かというと、
「とにかく勉強道具を買う」「ノートを買う」「参考書を買う」みたいな
みんな勉強関係。コレならおばちゃんはお金を出した。
他の理由など言った事がない。
で何を買ったか、多分みんな違うものに化けていたと思う。
このノウハウはすべて姉仕込み。
伝統として私も受け継いだ。
しかし、ずいぶん助けてもらっている。
世の中何とかなるものだというお気楽な考えも、
このあたりで形成されているかもしれない。
ひどいときには、3人が何度かかち合ったことがあった。
さらに、面白いことに、お金をもらうのに、必ず儀式があったのです。
つづく