西洋の星占いで、男の大事なチャンスは一生のうち2度あると言う事を、40代の時に知った。
これからは、そのチャンスの掴み方というか、掴んだけど逃してしまった的な話になるかと思います。
してやられた
男のチャンスは、一生に2度ある!それは27歳から33歳の間。それと星が一巡りする60歳前後。この時期に必ず人生の大事な選択に迫られる。
人によれば、結婚なのかもしれない。また、慣れた仕事を変わっていく事になるのかもしれない。私の場合は30歳の時にそれはやってきた。
店を暖簾分けするという独立話。
これには、深いわけがあった。その事情もよく知っていた。知り尽くしていたと言ってもいいぐらい、私は会社の内情をしっていた。知らないのは美容室以外の事業での利益ぐらいで、美容室の方の事はほとんど実権を握っていた状態なので、わかっていた。
・・・そう、わかっていたつもりと言った方が正解だったと思う。
私の、20代の美容師としての修行は、今思うと、経営者に儲けさせる事の大事さを覚えていったのだと感じる。とにかく人が少なくなろう、どんな状況に落ちていこうが、個人的には利益を出してはいても、店的にはどんどん追い込まれていったのは確かにあった。
17歳から修行をさせて頂き、そこで中途半端ながら店長をさせて頂き、色々な勉強をさせていただいた。だからこそ、その恩返しもしっかりして行きたく、どんなにスタッフがやめていっても、自分一人が残っていれば、どうにでもなると思っていた節があったが、やはり一人の力はたかが知れている。
自分の無力さも、当時は出来もしない「ゆめ」に取りつかれていたし、足もとも全然見ていなかった。
実際、最後にはほとんど残らず、暖簾分けの形で従業員を受け継ぐ形になる時、冷静な判断も出来ず「情」に流されて行ったのです。
店としての魅了は、すでにこの時はほとんどなかったと今となっては思うが、「独立」という言葉に、私の心はやはり躍っっていた。
独立の意思がなかったはずの自分の心を疑った・・・でもこのふた文字に、私は、また新たなる修行の道に入って行った。
結婚してまだ3年目。子供はすでに二人いた。貯金は子供の学資保険がわずかあるぐらい。独立するための貯蓄など1円もしていなかった。
営業権を買い取るために、私は政府の銀行に足を運んで行った。そこで自分の甘さを嫌というほど行員さんから教えられる。
そりゃそうです。1円も持っていないやつが、いきなり店をやりたいから、事業計画もなしに、700万円貸してくれって行ったのです。
無知ほど恐ろしい事はない。それでも私は一つひとつ、どうしたら融資が受けられるのか、その行員さんに教えてもらいに、何度も銀行に電話をかけて聞いた。
自分の周りが思っているほど、簡単に大金は動いてくれなかった。
でも、貸す方の人はそれを知っている。そう思って食いついていった!