オヤジの背中と言うことで書いています。
ずっと続いてきていますので、
前の話を知らないと、読みにくいかなっと思いますが
まあいいです。
そのうちまとめます。
ではルーツな話の15回目です
どんどん薄くなるオヤジの髪の毛。
あ、違った、親子の関係。
一家離散に近い時代を迎えていきます。
そんな中、オヤジはある行動に出ます。
私は、立派な両親に、立派な子どもが育つなんて思ってもいませんしだらしない親だから、子育てがうまくいかないとも思いません。
全てはそんな親を持つべくして自分がが選んで生まれてきたのだと思います。
そう思えば、自分自身で納得する事が多くなります。
ただ、親の影響は受けます。
環境の影響も多少なりと受けるでしょう。
しかし、一人一人、生まれながら、持っている運命のようなものはあると思います。
それが、成長の過程でどのような結果であっても、本人がもっている運命で、親が作っていった運命とは違います。
勘違いしないほうが、いいように思います。
こういうと誤解を招きそうですが、人のせいにする事件を見ているとそう感じます。
さて、子どもが成長すると、当然ながら親のもとを巣立っていきます。どこにでもある家庭の風景ですが、うちの場合少し違っていました。
理由はとても長くなるので避けますが、いつのまにか、子ども達のすむ場所と、親のすむ家が別々になってしまいました。
と、ココまではなんとなくありそうなのですが、形が少し違ってくるのですね。
最終的には、子どもの住む場所の近くに、親が引っ越してくるというような形になってきます。
これってなんか変ですよね。最後の最後には、姉の家に住み着くオヤジ!親父と別れてしまう、お袋。
しかし大人になっていく子どもは、一切感傷的なことはなし。二人の問題だと、自分のことで手一杯。
薄情といえば薄情なのですが、どうにもならない。
人はいいのに、酒癖の悪かったオヤジは、全くといって、子ども達から信頼されてもいませんでした。
しかし、このような家庭だったから、私はがんばれた!なんて全然思っていません。
それが、オヤジが私に伝えてきた生き方だったように思うのです。
オヤジは常に私らを追って家を借りてきました。
近くにいたかっただけです。
私も3人の子どもがいますから良くわかります。
いつまでも成長をみてみたいと、思っています。
いや、私はいつも側にいたいと、正直今も思っています。
オヤジは、多くの兄弟を事故や病気で、幼少期に亡くしていました。
「兄弟だけは仲良くしろ」とだけは、よく言っていたことを思うと、自分の心の寂しさだけは、味合わせたくなかったのでしょう。
さらに、幼少期時代に上の兄弟に、悪さをしてこずかれたことも、しかられた事もあまり無かったたかもしれません。
私は思うのです。
ありのままの大人の姿が、感性の強い子どもを作ると・・・
だらしない親の姿も必要!がんばっている親の姿も必要!楽しんでいる姿の親の姿も必要!
なんでもありなんです。
ただ、感性の強い子どもと、感情をあらわに出す子どもとは違います。
じっとしていても、感性の強い子どもはたくさんいますし、喜怒哀楽が激しいから感性が豊だとは限りません。
私は、親が楽しく生きていないと、子供に影響するとずっと、思っていますしそれは、私の体験から来る言葉でした。
しかし、それは人に生き方を強制する考え方のように思えます。
でも、一つの生き方のようにも感じています。
まあ、人それぞれ色々な生き方がありますからどんな状況でも、自分は自分でいいのですよ・・・と
だらしないオヤジの生き様も、今だから、とても素敵に思えるようになってきました。
そんなオヤジとの別れは突然やってきます。
続く