書きたいから書いている過去の話
本当は、私の過去なんてほとんどの人には
興味がない!
これが福山雅治なら違う・・・
人って、そんなスーパースターなんかが大好き!
だってカッコいいからね!!
カッコいい人って、ずいぶんがんばってきたんです!
そこまで行かなくても、相当自分の人生カッコよく生きていける!
そのコツは、自分に自信持つことと、自分がココまで生かされてきている事に感謝して、いろいろな出来事をすべて肯定する事!
過去を否定し続ける人に
楽しい未来なんか絶対にないからね。
そんな簡単な事を、さも難しいと思っている人に、
何か一つでもヒントになれば良いかなって思って綴っています。
「人は感情で生きている、動物だって感情のようなものはある。しかし人は理性を持って生きなければ幸せにはなれない。人として生きることが幸せの道なのだ」斉藤一人
ふるさと 作詞:曲 KOU
曲がりくねった一本道の向こうに トタン屋根の小さな家
低い軒下くぐれば かぎのない扉が一つ
透間風の通る茶の間に 古いほりごたつ
13インチの白黒テレビに色がつくころ
初めての恋を知った
裸足で走った浜辺が忘れられない
ふるさと離れていくほど 恋しい
ふるさと離れていくほど 恋しい
まっすぐ伸びる煙突から 黒い煙が立ち上る町並み
みんなが集まる海のそばの小さな店も
静かにその役目を終えてたたずむ
でこぼこな道が平らなアスファルトに変わる頃
初めての悔し涙を流した
木立の中で遊んだ時が忘れられない
ふるさと遠くにいても 恋しい
ふるさと遠くにいても 恋しい
はだしで走った海辺も 木立の森も
はるかに忘れがたき ふるさと
はるかに忘れがたき ふるさと
「お天道様はいつもお前をみている」
あなたは、「バチがあたる」という言葉を聞いたことがあると思います。
私は、よくばあちゃんに言われました。
いよいよ、話しも本家族の話題に入っていきます。
核家族が問われている昨今、
昭和の時代には人として大切なものが、
日常の生活の中にちりばめられていたように思えてなりません。
とかく道元坊主(いたずらっこ)だった私は、
このばあちゃんには、よくこづかれた。
しかし、大切な言葉や、しぐさなどは「明治生まれ」のばあちゃんから引き継いで来たのかも・・・と思います。
若い頃から「毛利邸」で奉公をしていたせいで、
どんなに厳しい事にも立ち向かっていく、
凛とした物を、持っていました。
まあ当時の女性は、めちゃくちゃ強い!そして頑固!
こんなばぁちゃんがそばにいますと、
すぐ、ほうきでどやされるわけです。
幼少期にはすべて好奇心のほうが先に立ちます。
好奇心があって、はじめて失敗を経験します。
初めから答えがわかっている、「ドリル」とは違います。
昔の家には、「ふすま」や「障子」などが必ずありました。
それは、時々張り替えられていました。
特に「障子」などは、よく破れますから、
たびたび破れた部分は、継ぎ足していくわけです。
しかし、全部を張り替える作業をみている時、
私は無性にそのきれいに張り替えられた、「障子」に指を突っ込んでみたくなったのです。
ばあちゃんから言われていました。
「まだしっかりのりが乾いていないから、絶対に触れてはいけないよ」と・・・触れるなといわれれば、触れたくなるのが子供の心理。
当たり前のように、私がとった行動は・・・
つづく